あなたのまわりにも、またはあなた自身にも、「人に物をあげるのが好きな人」がいるのではないでしょうか。誕生日や記念日だけでなく、日常のちょっとしたときにも何かをプレゼントしたくなる。相手の喜ぶ顔を見たくて、あるいは気がつけば自分から“何か”を差し出している……そんな人です。
一見すると、それは優しさや思いやりの表れに見えるかもしれません。しかし、実はこの「人に物をあげる」という行動の裏には、複雑な感情や心理的背景が潜んでいることもあります。誰かを喜ばせることが、自分を満たす手段になっていたり、承認されたいという深層心理が働いていたり。中には、「なぜ自分はこんなに何かをあげたくなるんだろう」と、ふと立ち止まる人もいるのです。
贈り物は、単なるモノのやりとりではありません。それは、感情や自己表現、人間関係の“かたち”として現れる非常に個人的な行為です。そこには、「無償の愛」と言いたくなるような純粋さがある一方で、「見返りを求めてしまう自分」に対する葛藤や、「あげすぎて疲れる」というジレンマも含まれているのです。
では、なぜ私たちは“あげる”のでしょうか? そして、それは本当に「良いこと」なのでしょうか?
この記事では、「人に物をあげるのが好きな人」の内面を丁寧に紐解いていきます。ただの善意や親切心で片付けられない、7つの心理を中心に、与えることの光と影を探ります。また、相手との関係性や距離感、自分自身との付き合い方を見直すヒントも織り交ぜながら、行動の意味を深く掘り下げていきます。
与えることは、あなたの美徳かもしれません。ですが、それがあなた自身を苦しめるものになっているならば、その優しさを「少しだけ自分のために使ってみる」視点も大切にしてほしいのです。
この記事は以下のような人におすすめ!
- 「人に物をあげたくなる気持ち」の理由を深く知りたい人
- 与えすぎて疲れてしまった経験がある人
- 見返りを求めてしまうことに罪悪感を覚えている人
- 自分の与える行動が人間関係にどう影響しているか知りたい人
- “あげたい自分”と“疲れる自分”のバランスを見直したい人
1. 人に物をあげるのが好きな人とは?
「人に物をあげるのが好きな人」とは、プレゼントやおすそわけ、ちょっとした差し入れなど、他人に“何かを与える”ことを習慣のように行う人のことを指します。単に贈り物が好きというよりも、「誰かのために動くこと」が生きがいであり、自分の存在意義につながっている場合もあります。
このような人たちは、親切で思いやりがあるという印象を持たれることが多いですが、本人の内面では「誰かの役に立ちたい」「喜ばれることで安心したい」といった深層的な欲求が働いていることもあります。また、周囲からの評価に敏感な傾向もあり、「あげる=好かれる」「あげない=距離ができる」といった無意識の前提が行動の裏に潜んでいるケースもあります。
この章では、「人に物をあげる」行為そのものがどのような意味を持つのか、またその背景にある心理的な構造について探っていきます。
1-1. 贈り物の本質は「自己表現」
贈り物は一見すると相手のための行為に見えますが、その実態は自己表現のひとつでもあります。
例えば、あなたが手作りのお菓子を職場に持っていったとしましょう。それは「みんなに楽しんでもらいたい」という思いもあるかもしれませんが、同時に「自分の気配りを知ってもらいたい」「このお菓子を通じて自分を印象づけたい」といった意識が無意識下で働いている可能性もあります。
つまり、贈り物は「私はこういう人です」というメッセージであり、それを受け取った相手がどう反応するかで自分の価値を測る材料にもなり得ます。これは決して悪いことではなく、人間関係を築く上では自然な側面です。
しかし、これが強くなりすぎると「相手にどう思われるか」がすべてになり、贈ること自体が“他者基準”に支配されてしまう危うさもあるのです。
1-2. 与えることで満たされる心理メカニズム
人は、誰かのために行動したとき、脳内で「オキシトシン」や「ドーパミン」といった幸福感をもたらすホルモンが分泌されます。特に相手が喜んでくれたとき、その反応が“報酬”となり、脳が快感を記憶します。
この快感が「また誰かに何かをしてあげたい」という行動の原動力となり、“あげることそのものが報酬”というループが生まれるのです。これを心理学では「ヘルパーズ・ハイ(Helper’s High)」と呼び、親切や思いやりの行動を取ったあとに気分が高揚する現象として知られています。
この状態が習慣化すると、「自分の心を満たすために、相手に与える」行動が続いていきます。もちろんそれは素晴らしいことですが、やがて“与えることが当たり前”となると、喜んでもらえなかったときに強い落胆を感じるリスクも出てきます。
1-3. 「見返りを求めない」は本当?その裏にある感情
「私は見返りなんて求めてないよ」と口では言っていても、心のどこかで「ありがとうの一言くらい欲しかった」「気づいてくれなかったのが悲しい」と感じたことはないでしょうか。
本当の“無償の愛”を貫くことは、理屈では可能でも、感情的には非常に難しいものです。私たちは人間関係の中で、自然と“感謝されたい欲”や“評価されたい願い”を抱えており、それが満たされなかったときに虚しさを感じるのです。
このとき、問題なのは「見返りを求めたこと」ではありません。大切なのは、自分がどんな気持ちで“あげた”のかを理解しておくことです。なぜなら、その気持ちを理解しないまま「あげて損した」「裏切られた」と感じてしまうと、次第に人間関係そのものが苦しくなってしまうからです。
「見返りを求めたっていい」と自分を許し、あげたあとの自分の気持ちに正直になること。それが、与える行動を“しんどさ”ではなく“しなやかさ”へと変える第一歩になります。
ポイント
- 「人に物をあげる」行為は、他者への親切であると同時に、自己表現でもある。
- 与えることで脳が快感を感じ、習慣化しやすい心理的報酬がある。
- 見返りを求める感情があっても当然であり、それを否定せず理解することが重要。
- 自分の「与える動機」と「その後の感情」を観察することで、より自由で無理のない関係が築ける。
2. 人に物をあげるのが好きな人の7つの心理
「人に物をあげるのが好き」という行動の背後には、単純な親切心だけでは片づけられない多面的な心理が潜んでいます。この章では、その代表的な7つの心理を深掘りしながら、なぜそのような行動が生まれるのか、どのように日常生活に影響を及ぼしているのかを具体的に見ていきます。私たちはなぜ「与える人」になろうとするのか──その理由を自分自身の内側に探ってみましょう。
2-1. 喜ばれることに幸福を感じる
「相手が喜ぶ姿が見たい」──これは、もっともわかりやすく、そして最も共感されやすい心理です。物をあげることで相手が笑顔になる、その瞬間に満たされる気持ちは、贈る人にとって強い動機になります。
心理学では、他者を喜ばせる行動を取ったとき、脳内で「報酬系」と呼ばれる神経回路が活性化すると言われています。これは、人が美味しいものを食べたときや、好きな音楽を聴いたときと同じように、他者の笑顔や感謝が“自分の快楽”になるというメカニズムです。
また、人は他者の感情に共感する性質を持っており、喜ばれている姿を見ることでまるで自分が喜ばれているような感覚を得ることがあります。これが繰り返されると、「人にあげること=幸福につながる」という学習が定着しやすくなり、次第に“あげること”自体が目的化していきます。
重要なのは、この行動が「善意」だけで成り立っているわけではない、という点です。そこには明確な“自分の心の報酬”があり、あげることで自分も救われているのです。
この心理は、人間らしさの象徴でもあります。他者の喜びを我が事のように感じる感受性が高い人ほど、この傾向は強く表れやすいのです。ときに、それが過剰になり、自分を後回しにしてしまう原因にもなりますが、もともとは非常に自然で温かな動機から始まっていることを忘れてはいけません。
2-2. 相手の期待に応えたい「他者志向性」
もう一つの重要な心理に「他者志向性」があります。これは、自分の行動や価値を他人の期待に合わせて決める傾向を指します。つまり、「あの人が喜ぶなら」「期待されているから」「断ると悪い気がするから」など、相手の気持ちを優先することで自分の存在を確かめるような感覚です。
このタイプの人は、無意識のうちに“相手が求めているであろうこと”を察し、それに先回りして応えようとします。贈り物をする行為もその一環で、「言われなくても察して与える」ことに価値を感じる傾向があります。
しかし、他者志向性が強すぎると、自分の本音を抑えてでも相手のニーズに応え続けてしまうという問題も出てきます。「あげたくないけど、あげないと冷たいと思われそう」といった葛藤に悩まされやすく、あげた後に“どこか苦しい”という気持ちが残ることもあるでしょう。
これは、やさしさの裏返しとも言えます。自分よりも相手を優先してしまうその在り方が、自分を消耗させる要因にもなり得るのです。
また、他者志向性が強い人は、拒否や否定に敏感です。そのため「与えることで拒絶を避ける」という行動パターンを無意識に取っていることもあります。あげることで相手との関係を安全に保とうとしているとも言えるのです。
この心理は、社会生活や人間関係を円滑に進めるうえではとても有用ですが、いつしか「自分のためではなく、他人のためだけに生きている」と感じてしまう危険もはらんでいます。与える行動を大切にしながらも、「自分の心を中心に置く」という視点を失わないことが鍵となるでしょう。
2-3. 承認欲求のひとつのかたち
人は誰しも、自分の存在や行動が認められたい、受け入れられたいという「承認欲求」を持っています。人に物をあげることは、直接的にこの承認欲求を満たす手段になりやすいのです。
たとえば、プレゼントを贈ったときに「ありがとう」「気が利くね」「助かった」と言ってもらえると、その言葉が“自分の存在を肯定してくれた”という感覚につながります。特に自己評価が安定していない人にとっては、このような外からのポジティブなフィードバックが自尊心を支える重要な要素となることがあります。
また、人に与えることで「良い人」としてのイメージを確立しようとする心理も働きます。「周りからそう思われたい」という意識が強いと、“人に物をあげる自分”というイメージに自ら縛られてしまうこともあります。
このような承認欲求型の与える行動は、表面上は非常に魅力的に映ります。実際に、親切で気遣いができる人は多くの場面で信頼されます。しかしその裏で、「認められないと苦しい」「無視されると価値がない」といった不安定な自己感が隠れていることも少なくありません。
承認欲求は悪いものではなく、社会生活においては自然な感情です。問題になるのは、それが過度に強くなり、あげる行動そのものが「認められるための手段」に変わってしまうこと。そうなると、与えることが本来の温かさではなく、「認められたい」という焦りや不安からの行動になり、自分の心が疲弊してしまいます。
「なぜこれをあげたくなるのか?」「もし感謝されなかったらどう感じるか?」といった問いかけが、自分の動機を知るヒントになります。
2-4. 自己肯定感の不足を補う行動
物をあげることで誰かに感謝されると、「自分には意味がある」「誰かの役に立っている」という実感が生まれます。これは、自己肯定感が低い人にとって非常に大きな心の支えになるのです。
自己肯定感とは、自分をありのままに受け入れ、「自分は価値がある」と思える感覚のこと。これが低いと、自分自身の存在に確信が持てず、「何か役に立っていないと不安」「誰かの役に立って初めて安心できる」といった不安感に駆られやすくなります。
その結果、誰かに物をあげたり、気を利かせたり、先回りして行動したりすることで、“役に立つ人間としての価値”を確かめようとする傾向が生まれます。つまり、与えることが「存在証明」になっているのです。
このタイプの人は、「自分が役に立っていない」と感じるときに強い焦燥感や虚無感を覚えやすく、「もっと何かしないと」と無理に頑張ってしまうこともあります。やがてそれが続くと、心が疲れ果ててしまい、人との関係が苦しくなる原因にもなります。
ここで大切なのは、「何かをしていなくても、自分には価値がある」と少しずつでも思えるようになることです。何もしていないときの自分にも優しさを向けられるようになると、与える行動が“依存”ではなく、“自由な選択”に変わっていきます。
贈り物や親切は、あくまで「表現」であって「補償」ではない。そう思えるようになれば、与える行動はより豊かで自分らしいものになっていくでしょう。
2-5. 優しさで人間関係をコントロールしようとする無意識
少し意外に思われるかもしれませんが、「人に物をあげる」という行動には、人間関係を自分の望むかたちに保とうとする“コントロール”の一面が隠れている場合があります。
たとえば、「私がここまでしているのだから、相手も同じように返してくれるはず」「これをあげれば関係はうまくいく」というように、相手の行動や感情に“期待”を仕込む形で与えている場合があります。このとき、あげる行動は無意識に「操作性」を帯びているのです。
もちろん、それを意識している人はほとんどいません。多くの場合、本人は「善意」や「親切心」でやっているつもりです。ただ、その奥には、「これだけしている自分は好かれて当然」「相手に嫌われないように振る舞っている」という、対人関係への強い不安や支配欲求があることも否定できません。
この心理は、過去の人間関係で傷ついた経験や、見捨てられ不安が強い人ほど感じやすくなります。「自分が何もしなかったら、人は離れていってしまうのでは」という恐れが、“あげる行動”を強化していることがあるのです。
また、「あげたのに、返してくれなかった」「無視された」と感じたときに強い怒りや失望を覚えるとすれば、それは自分の行動に“期待”や“操作性”が含まれていたサインかもしれません。
これは決して悪意ではなく、むしろ「人間関係を大切にしたい」「相手を失いたくない」という気持ちの裏返しでもあります。ただし、与えることで関係を“コントロール”しようとする状態が長く続くと、相手との信頼関係が歪んだものになり、自分も消耗し続けることになります。
そのためにはまず、「あげることで得ようとしているものは何か?」を問い直してみることが、自分の本音と向き合う出発点となるのです。
2-6. 幼少期の環境や親の価値観の影響
「人に物をあげるのが好き」という性質は、育ってきた家庭環境や親から受け継いだ価値観に深く根ざしている場合があります。特に、幼少期に「人に尽くすことは良いこと」「他人に迷惑をかけないように」と教えられてきた人ほど、自己よりも他者を優先する行動パターンを持ちやすくなります。
たとえば、親が非常に与えることに熱心で、困っている人には進んで助ける姿勢を見せていた場合、それを見て育った子どもも「与えること=良いこと」という価値観を自然に吸収していきます。また、親からの愛情が「何かをしてくれたとき」や「良い子だったとき」にだけ与えられていたケースでは、「人に何かをすることでしか、自分は認められない」と無意識に学んでしまうこともあるのです。
このような背景があると、「与えること」が習慣やアイデンティティの一部になっているため、それを止めることに強い不安を感じるようになります。「何もしない自分は価値がないのでは」「嫌われてしまうのでは」といった恐れから、無理にでも“与える役割”を続けてしまうのです。
また、兄弟姉妹の中で“お世話係”のようなポジションを担っていた人は、大人になっても無意識に「人を助けなければ」「支えなければ」と思い込んでしまうことがあります。こうした無意識の思考パターンは、意識的に向き合わない限り繰り返され、自分を見失う要因になることもあるのです。
親から受け取った価値観や、幼い頃に形作られた信念は、必ずしも“今のあなた”にとって適切とは限りません。「与えたい」という気持ちが本当に自分の意思から生まれているのか、それとも過去の刷り込みなのか。自分の中にある“無言のルール”を一度見直してみることは、与える行動の質を見直すきっかけになります。
2-7. 「与える人」でありたいというアイデンティティ
一部の人にとって、「人に物をあげる」という行動は、もはや自分自身のアイデンティティと密接に結びついています。「自分は“与える人”でありたい」「そうすることで自分でいられる」という強い信念があるのです。
これは非常にポジティブな動機でもあります。誰かを支えたり、喜ばせたりすることに誇りを持っている人は、周囲からも信頼され、必要とされる場面が多くなります。そしてそのたびに、「自分の存在には意味がある」と実感しやすくなります。
しかし、この“与える人”というイメージに縛られてしまうと、そこから外れることが極端に難しくなります。たとえば、「今回はあげなくてもいいかな」と思ったとしても、「でも、あの人はきっと期待してるだろう」とか「いつもの自分ならやっている」と考えてしまい、結果的に無理をしてでも与えてしまうのです。
また、このアイデンティティに依存しすぎると、相手の反応が期待と違った場合に強いショックを受けてしまいます。「こんなにやったのに、感謝してくれない」「無視された」といった経験は、“自分らしさ”そのものが否定されたように感じるため、傷が深くなりがちです。
「与えること」は、あなたの美点であり、才能でもあります。ただ、それが“自分を保つための役割”になってしまっているとすれば、少し立ち止まって考えてみる必要があります。あげることが「あなたの一部」であっても、それだけが「あなたのすべて」ではないのです。
ときには「受け取る人」「助けられる人」「与えない人」である自分をも認めること。それが結果として、与えることの意味をより豊かに、深いものへと変えていきます。
ポイント
- 「喜ばれること」に幸福を感じる心理は、自己の快感ともつながっている。
- 他者志向性が強い人は、相手の期待に応えることで自分を保つ傾向がある。
- 承認欲求を満たす手段として、物をあげる行動が用いられる。
- 自己肯定感の低さを補うため、与えることで“役立つ自分”を演出しようとする。
- 優しさの裏に人間関係をコントロールしたい無意識がある場合もある。
- 幼少期の環境や親の教えによって、「あげることは正しい」と刷り込まれていることがある。
- 「与える人」という役割が自己アイデンティティと結びつき、それを手放すことに抵抗を感じる。
3. 人に物をあげすぎる人が抱える葛藤とリスク
「人に物をあげるのが好き」という性質は、表面的には温かく思いやりのある行動として評価されがちです。たしかに、周囲に気を配り、さりげない心遣いを見せる人は魅力的に映ります。
しかし、その行動が“あげすぎる”状態へと進行したとき、本人の内面では自覚しにくい葛藤や心の負担が生まれ始めます。それは「優しさ」という仮面をかぶった無理、「あげたい気持ち」に押しつぶされる疲労、「与えることで関係を保とうとする焦り」といったかたちで現れます。
この章では、「あげすぎること」が引き起こす3つの代表的なリスクと、その背景にある心理について詳しく解説していきます。
3-1. 相手との距離感が曖昧になりがち
物をあげる行為には、物理的にも心理的にも「距離を縮める」力があります。ときにそれは、相手との関係を深めるきっかけになったり、心の壁を和らげる手助けになることもあります。
しかしその一方で、頻繁な贈り物や過剰な気遣いが、相手との健全な距離感を曖昧にしてしまうこともあります。たとえば、「親しくなりたい」気持ちから何度も差し入れをする、「感謝されたい」思いで毎回お礼以上のものを返すなど、行為がエスカレートしていくと、相手は次第に“負担”を感じ始めます。
贈る側が「してあげた」気持ちを抱きすぎると、関係性のバランスが崩れやすくなり、「こちらはこんなに与えているのに、相手は何もしてくれない」といった不満が生まれることも少なくありません。
また、贈り物が多すぎると、「この人はなぜここまでしてくれるのか?」「裏があるのでは?」と相手が警戒心を抱いてしまうケースもあります。これは特に、知り合って間もない人や、上下関係のある間柄では注意が必要です。
本来、人間関係において大切なのは“適切な距離感”です。あげることで相手との距離を急激に縮めようとすると、かえって心が離れていってしまう危険性もあるのです。
3-2. 自分の本音を抑え込んでしまう
「人に与えるのが当たり前」になってしまうと、自分の中にある“疲れ”や“不満”に気づきにくくなります。「断ったら申し訳ない」「あげないと冷たい人に思われるかも」といった不安から、本当は断りたい気持ちや、あげたくない感情を押し込めてしまうのです。
こうした習慣が続くと、自分が何をしたいのか、何に疲れているのか、どこまでが本音なのかが分からなくなっていきます。つまり、「自分で自分の感情を無視する状態」が常態化してしまうのです。
また、自分の感情に鈍くなると、周囲に対しても過度に“察して行動する”傾向が強くなり、結果として「自分のための時間」や「本当に欲しいもの」を見失ってしまいます。
たとえば、「もう少し自分の時間がほしい」と感じていても、頼まれごとや差し入れを断れず、結局疲れ切ってしまう。あるいは、「今回は何もしないでおこう」と決めたのに、相手の期待を勝手に想像して動いてしまう――こうした状況が繰り返されると、心が摩耗していきます。
本音を抑え続けた結果として起きやすいのが、「突然の爆発」や「関係の断絶」です。自分でも気づかないうちにストレスが蓄積し、限界に達したときに一気に距離を取ってしまったり、関係そのものが破綻することさえあります。
「本当はどうしたいか」を日常的に問い直すこと。そして、「あげない」という選択肢も持っていいことを自分に許すことが、心を守る第一歩です。
3-3. 「与えすぎ疲労」による心の消耗
一見穏やかで、まわりに気を配れる“あげる人”ほど、実は深刻な疲労を抱えていることがあります。それは、感謝されないことへの悲しみだったり、自分ばかりが気を使っているという孤独感だったりします。
「あげることが好きな自分でいたい」という理想と、「あげることに疲れてしまった」という現実との間にギャップが広がると、人は自分を責め始めます。「私は優しい人間のはずなのに、こんなことでイライラするなんて」「あげたくないと思ってしまった私は冷たいのでは」と、自分の中にある正反対の感情に戸惑うのです。
また、周囲がその“優しさ”に慣れてしまうと、あげる行動に対する感謝や配慮が少なくなることもあります。「いつものこと」として受け取られれば受け取られるほど、あげる側は孤独を感じやすくなります。
「ありがとう」の一言すら返ってこない贈り物に虚しさを感じたとき、それでも「私はこういう人だから」と無理に与え続けてしまうと、やがて心身に深刻な影響が及ぶこともあります。
“与えすぎ疲労”は、静かに進行します。気づいたときには、対人関係に強い倦怠感を覚えたり、自分の価値に疑問を持つようになったりするケースもあるのです。
大切なのは、「疲れた」と感じる自分を否定しないこと。与えることが好きなあなたが、与えることで苦しんでいるならば、それは“やり方”や“頻度”を見直すサインかもしれません。
ポイント
- あげすぎは、相手との健全な距離感を壊す原因になりうる。
- 自分の本音を抑え続けることで、心の声が聞こえにくくなる。
- 与えすぎると、自分だけが消耗し、周囲との関係に不満が蓄積しやすくなる。
- 自分のためにも「あげない」選択を許容することが、健康的な人間関係を育てる鍵になる。
4. 好きだからこそ、気をつけたい与え方の工夫
「人に物をあげるのが好き」という気持ちは、あなたの優しさや思いやりの表れであり、大切にしてほしい美点です。しかし、その優しさが過度になると、相手に気を遣わせてしまったり、自分自身を追い込んでしまったりすることもあります。
“あげたい”という気持ちは否定せずに持ち続けながら、相手との健やかな関係を築くための与え方の工夫を意識することが、より豊かな人間関係を育てるヒントになります。この章では、3つの観点から与え方の質を高める方法を考えていきます。
4-1. 相手の感受性・負担を意識する視点
贈り物をする側は「喜ばせたい」という善意から行動していても、受け取る側が常に同じように感じているとは限りません。特に、何度も高価なものをもらったり、予想以上に気を遣わせるような物を受け取ったりすると、相手は「お返しをしなければいけないのでは」「次もまた何かをしなきゃいけないのでは」と負担を感じてしまうことがあります。
そのため、相手が受け取りやすいかどうかを一度立ち止まって考えてみることが大切です。たとえば、ちょっとした手書きのメッセージや、コンビニで見かけた小さなお菓子など、「これなら気を遣わずに受け取ってもらえる」と思えるものを選ぶのも一つの方法です。
また、相手の性格や立場を意識することも重要です。贈り物をもらうことに慣れていない人や、物事を深く考えるタイプの人にとっては、贈り物そのものよりも、「なぜくれたのか」の意図に気を取られてしまうことがあります。そうした場合は、言葉を添えてシンプルに気持ちを伝えるだけで、十分に思いが届きます。
“気を遣わせない与え方”を模索することは、あなたの優しさをさらに洗練させることにつながります。
4-2. 贈る理由を自分の言葉で言語化してみる
あなたが人に物をあげたくなるとき、その「理由」を明確に言葉にできますか?
「なんとなく」「喜んでもらえると思ったから」「そういう自分でいたいから」など、いろいろな思いがあるかもしれません。
この段階で一度立ち止まり、自分が“なぜあげたいのか”を自分自身の言葉で丁寧に言語化してみることは、与える行動の質を大きく変えます。
それによって、見返りを求めていたことに気づいたり、自分の心の不安を和らげたくて行動していたことに気づいたりするからです。
また、「私はこれを通じて、どんな感情を伝えたいんだろう?」「相手にどんなふうに感じてもらいたいんだろう?」という問いを持つことで、自分の“贈る意味”が明確になります。
たとえば、「誕生日に何かを贈りたい」と思ったとき、「誕生日だから何かをあげるのが当たり前」という思考のまま行動するのではなく、「この一年頑張ってきたあの人に、ねぎらいの気持ちを伝えたい」と具体的に気持ちを掘り下げてみる。
すると、贈る物の選び方や、贈り方、言葉の添え方がガラリと変わることに気づくはずです。
感情を伴った贈り物は、形ではなく“気持ち”として相手に届くからです。
4-3. 「ありがとう」を受け取る練習もしてみよう
与えることに慣れている人ほど、「受け取ること」が苦手な傾向があります。
人に物をあげるのが好きな人は、相手に気を遣わせたくない、自分だけが得をするのが落ち着かない、という感覚を持つことが多いからです。
しかし、与えることと同じくらい、受け取ることも大切な人間関係の一部です。
「ありがとう」を素直に受け取る、「気を遣わずにね」と言われたプレゼントをそのまま受け入れる、「私にできることがあったら言ってね」と言われたときに遠慮せずにお願いする――これらは一見すると小さなことに思えるかもしれませんが、自分の中にある「与える側でいたい」「与えられる側になりたくない」という偏ったバランスを整えてくれる行為なのです。
与えっぱなしになっていると、人間関係は“片側通行”になります。与えた分だけ受け取ることを許すことで、「受け取るあなた」もまた、大切な存在として相手に映るようになります。
“あげる自分”を肯定しながら、“受け取る自分”にも居場所を与えてあげる。
このバランス感覚を意識するだけで、あなたの人間関係はより自然で、柔らかく、心地よいものへと変わっていくのです。
ポイント
- 相手が“受け取りやすい与え方”を選ぶことで、思いやりが伝わりやすくなる。
- 「なぜあげたいのか?」を自分の言葉で説明できるようにしておくと、行動の質が高まる。
- 与えることと同じくらい「受け取ること」も大切である。両方があってこそ、豊かな関係が育つ。
5. 「人に物をあげるのが好き」は悪いこと?
「人に物をあげるのが好き」と言うと、多くの場合は“優しい人”“思いやりがある人”という肯定的な印象を持たれます。しかし一方で、自分自身の内側では「これって自己満足なんじゃないか?」「見返りを求めてしまうのはダメなのかな?」といったモヤモヤや罪悪感を抱えている人も少なくありません。
この章では、「与える人」であるあなたが感じやすい内なる葛藤に光を当てながら、それを否定するのではなく、肯定的に受け入れていく視点を提供します。「あげることは美徳でなければならない」という思い込みを手放し、もっと自由に“与える喜び”を味わうための考え方を深めていきましょう。
5-1. “見返り”を求めても大丈夫
贈り物や気遣いをしたあと、相手から感謝されなかったとき、「あれ? ちょっとがっかりしたな」と感じたことはありませんか?
そんなとき、多くの人が「見返りを求めてしまった自分」に罪悪感を覚え、「こんな自分はダメだ」と自分を責めてしまいがちです。
けれど、それはまったく自然な感情です。人は誰でも、自分の行動が相手にどう受け取られるかを気にしてしまう生き物です。ありがとうの一言を期待するのは当然で、それがなければ寂しさを感じるのも無理のないことです。
問題なのは、「見返りを求めたこと」ではなく、それを否定してしまうことです。見返りを求める自分にダメ出しをするのではなく、「私はありがとうって言ってほしかったんだな」「私、認めてほしかったんだな」と気づいてあげる。それが、心をゆるめる第一歩になります。
そして、見返りを期待してしまう自分を受け入れられるようになると、不思議なことに、与える行為そのものがもっと純粋で楽なものに変わっていきます。なぜなら、「見返りを求めてもいい」と思えたとき、自分の気持ちを隠す必要がなくなるからです。
5-2. 自分の気持ちを優先してもいい理由
人に物をあげることに慣れている人ほど、「相手の気持ち」を最優先にしてしまう傾向があります。「あの人が困っているから」「喜んでくれるだろうから」と、自分の時間やお金、エネルギーを後回しにしてでも与えようとする。
たしかに、その姿勢は尊いものです。しかし、それが“自分の本音を押し殺す”ことで成り立っているとしたら、どこかで無理が生じてしまいます。
誰かに与える前に、自分の心にこう問いかけてみてください。
「私は、本当に今これをしたいだろうか?」
もし、ほんの少しでも「いや、本当は今日はゆっくり休みたいな」と思ったなら、その気持ちを優先してもいいのです。なぜなら、自分を満たせていない状態で与え続けることは、長い目で見て“持続可能ではない”からです。
自己犠牲で成り立つ与える行動は、最終的には誰かを責めるか、自分を責めるか、どちらかに傾いてしまいがちです。逆に、自分の心が穏やかで満たされているときに与えたものは、押し付けがましくならず、自然体で相手に伝わります。
「自分の心地よさも大切にしながら与える」
この視点を持つことで、あなたの優しさはもっと健やかで、長く続けられるものになります。
5-3. 「あげること=優しさ」とは限らないという視点
「人に物をあげることができる自分=優しい人」と思い込んでいる人は少なくありません。けれど、本当の優しさとは“与えるかどうか”よりも、“その行動の背景にある気持ち”にあるのではないでしょうか。
たとえば、相手が今はそっとしておいてほしいと思っているときに、無理に差し入れを届けたらどうなるでしょうか。それは、たとえ善意であっても“相手にとってありがた迷惑”になってしまうかもしれません。
あるいは、「何もしてあげられない自分は冷たい」「何かしないと好かれない」と思い込んで、あげることに執着している状態は、自分に対しても相手に対しても優しさとは言えない可能性があります。
「何かをあげなければ、私は優しい人ではない」という思い込みがあるなら、一度そこから自由になってみましょう。優しさとは、相手の立場を思いやること、自分の心の声にも耳を傾けること、無理をしないことから生まれます。
つまり、「あげない」ことが最も優しさに近い選択になる場面もあるのです。
“あげる”ことを通じて優しさを表現するのは素晴らしいこと。
けれど、それだけが優しさのかたちではないということも、心に留めておいてください。
ポイント
- 見返りを求めてしまうのは自然な感情であり、否定する必要はない。
- 自分の気持ちを後回しにせず、「あげたい」と思える状態かを確認することが大切。
- 「あげること」だけが優しさではなく、相手や自分にとって最良の選択を見極める視点を持つ。
- あげることを“義務”にしないことで、より自由で心からの優しさを実現できる。
6. 自己理解を深めるチェック&リフレクション
「人に物をあげるのが好きな人」という行動傾向は、他人との関係だけでなく、自分自身との向き合い方にも深く関係しています。与える行動を客観的に見つめ直すことで、自分がなぜそれをしているのか、どんな感情や価値観が背後にあるのかに気づけるようになります。
この章では、「自己理解を深める」ことを目的に、あげる行動の背景にある自分自身の思考や感情をチェックできる問いかけやリフレクション(内省)方法を3つの視点で紹介します。これらは、“あげたい自分”を否定するのではなく、より自分らしく、気持ちよく与えるための手がかりです。
6-1. 贈るときの感情を振り返る質問リスト
「何かをあげたとき、私はどんな気持ちだったか?」
「そのとき、相手の反応にどれだけ影響されたか?」
「“ありがとう”が返ってこなかったら、どんな感情が湧いたか?」
このような問いかけを、できれば実際に紙に書き出してみてください。自分が贈り物をした直後の感情、相手の反応を見たときの感覚、事前に期待していたことなど、あげる行動に伴って生じた感情の流れを丁寧に振り返るのです。
たとえば、「期待していなかったはずなのに、“ありがとう”がなかったことに腹が立った」「渡したあとに“ちゃんと喜んでくれたかな”と気になって仕方なかった」など、普段は流してしまいがちな気持ちを可視化することがポイントです。
自分の行動に対してどんな感情が起きたかに気づくことは、「無意識の習慣」から「意識的な選択」へと行動をシフトさせるための重要なステップです。
あげるたびに自分がどんなことを感じているのかを知ることで、与える行動がもっと自分らしく、納得感のあるものに変わっていきます。
6-2. あげなかった場合の気持ちも観察してみる
興味深いのは、「あげなかったときの自分」がどんな気持ちになるかを観察することです。普段、あげることに慣れている人にとって、何かを“あえてしない”という選択は、思いのほか強い違和感や不安を伴うものです。
たとえば、
- 「あげなかったら嫌われるかもしれない」と感じる
- 「なんだかモヤモヤして落ち着かない」
- 「罪悪感や申し訳なさが残る」
といった反応が出ることがあります。
こうした感情が出てきたとき、それを無理に打ち消そうとせず、「なぜ私はこう感じているのだろう?」とやさしく問いかけてみるのです。そこには、「与えなければ価値がない」「人に尽くすことで存在意義を保っている」といった深層の思い込みが隠れているかもしれません。
一度やってみたいワークとして、「いつもはあげるけれど、今日はあげないでみる」というチャレンジがあります。その結果、自分の中でどんな感情が湧いたのかを観察するのです。
この過程は、自分にとって“あげる”という行動がどれほど深く根づいているかを知ると同時に、そこから少し距離を取って選択肢を持つためのトレーニングになります。
6-3. 他人と比べない「私らしい与え方」を見つける
自己理解を深めていく過程では、「あの人はさらっとできているのに、私はうまく与えられない」「自分はつい気を遣いすぎてしまう」といった他人との比較に陥りやすくなります。
けれど、与える行動には“正解”も“理想形”もありません。人それぞれに合った、ちょうどいい与え方があります。
重要なのは、「私はどんなときに心から与えたくなるのか」「どんなときに苦しく感じるのか」「どんな与え方が自分らしいと感じるか」を丁寧に観察し、それを自分のペースで育てていくことです。
たとえば、派手な贈り物をするよりも、たった一言の「ありがとう」や「頑張ってるね」の言葉を届けるほうがしっくりくる人もいます。金銭的な価値ではなく、時間を割いて話を聞くことが最大の贈り物になる人もいるでしょう。
他人のスタイルに自分を合わせるのではなく、自分の心が動く瞬間を大切にすること。「与える=あなたのあり方の表現」として捉えると、周囲に惑わされることなく、自分らしいやり方を見つけることができます。
無理をせず、背伸びをせず、でも心を込めて。「私らしい与え方」は、そうやって育まれていきます。
ポイント
- あげたときの感情を丁寧に振り返ることで、行動の背景にある自分の心に気づける。
- あえて“あげない”選択をしてみると、自分に根づく思い込みが見えてくる。
- 他人と比べず、自分の心が心地よく動く与え方を見つけていくことが大切。
- 与える行動を“習慣”から“選択”に変えることで、より自由な人間関係が築けるようになる。
7. 「与える人」が人間関係に与える影響
「人に物をあげるのが好きな人」は、周囲から「優しい人」「気が利く人」として感謝されたり信頼されたりすることが多い存在です。けれど、その“与える力”は人間関係にさまざまな影響を及ぼします。
それは決して一方向の好影響だけではなく、受け取る側の心理や、関係性の構造そのものに深く関わっているのです。
この章では、与えることが人間関係にどんな意味を持ち、どんな効果や注意点があるのかを3つの視点から探っていきます。あなたの与える行動が、どのように他者に届いているのかを見直すきっかけになれば幸いです。
7-1. 受け取る側の心理:負担、喜び、遠慮
「ありがとう」と笑顔で受け取ってくれる人ばかりではないことに、あなたはすでに気づいているかもしれません。
与える行動は、相手に“喜び”をもたらす一方で、“遠慮”や“負担”という感情を引き起こすこともあるのです。
たとえば、あまり親しくない相手から高価な物をもらった場合、多くの人は戸惑いを覚えるでしょう。「これ、返さなきゃいけない?」「どういう意図なんだろう?」という疑問が湧き、「純粋にありがたい」と思えるまでに時間がかかることもあります。
また、気遣いが行き過ぎてしまうと、「この人にはいつも気を遣わなきゃいけない」「気を抜けない」という印象を持たれてしまうこともあります。受け取る側に「義務感」や「負債感」が生じると、関係は対等でなくなり、やがて居心地の悪さへとつながってしまうことがあるのです。
もちろん、贈り物によって相手の心があたたまり、関係が深まることもあります。大切なのは、相手がどんな人か、どんな心理的スタンスにあるかを丁寧に観察し、その上で“心地よい与え方”を選ぶことです。
あなたの優しさが負担ではなく“安心感”として届くようにすることが、関係性の質を大きく左右します。
7-2. あなたの行動が信頼関係をどう築いているか
与える行動は、ときに言葉よりも雄弁に“信頼”を築きます。手間やお金、時間をかけて誰かに何かを贈るということは、「あなたのことを気にかけている」「大切に思っている」という強力なメッセージになるからです。
特に言葉では気持ちを伝えるのが苦手な人にとっては、与える行動は“愛情”や“尊重”の表現方法となります。何気ない差し入れや、さりげない手紙がきっかけで、心の距離が一気に縮まったという経験を持つ人も多いはずです。
また、相手のニーズを察して行動できる人は、「この人は信頼できる」「ちゃんと見てくれている」と思ってもらいやすく、長期的な関係の中で非常に頼られる存在となります。
ただし、ここにもひとつ注意すべき点があります。それは、信頼関係を“与えることだけ”で築こうとしてしまうと、一方通行になりやすいということです。
相手があなたに対して何かを返そうとしたとき、それを素直に受け取れないとしたら、それは信頼のキャッチボールがうまくいっていない状態かもしれません。
与えることで信頼関係を深めることは素晴らしいことですが、それが成立するには、“与える”と“受け取る”の両方が自然に流れていることが前提です。
7-3. 贈り物以上に“共感”が与える力になるとき
どれだけ高価な贈り物をしても、心のこもったプレゼントを選んでも、相手が求めているのが「共感」や「対話」だったとしたら、物をあげることでは本質的なニーズに応えることはできません。
人は、「気持ちをわかってほしい」「話を聞いてほしい」「わかち合いたい」という欲求を根源的に持っています。だからこそ、共感という行為は、与えるものの中でもっとも深く、力のある贈り物なのです。
たとえば、友人が落ち込んでいるときに高級なスイーツを差し入れることも素敵ですが、「わかるよ、私もそんなときあった」と寄り添う言葉をかけられるほうが、ずっと心に残ることがあります。
共感とは、“一緒に感じる力”です。相手の感情に寄り添い、「あなたのことをちゃんと見ているよ」というメッセージを届ける行為です。それは、物よりも時間を、言葉よりも態度を通して伝わります。
「与えること=物を渡すこと」と限定せず、「何がこの人にとって本当の意味での支えになるだろう?」という視点を持つことが、より本質的な“与える力”を育てていきます。
ポイント
- 与える行動は、相手にとって喜びにも負担にもなりうるため、相手の感受性を尊重することが大切。
- あなたの与える行動は信頼を築く大きな力になるが、それが一方通行にならないよう「受け取る力」も意識する。
- 物よりも“共感”や“傾聴”が、相手にとっての最大の贈り物になることもある。
- 与えることの本質は、「自分がしたいこと」と「相手が望んでいること」の重なりにある。
8. 与えることをやめてみた人たちの声
「人に物をあげるのが好きな人」にとって、“あげる”ことは自分の一部のような行動です。だからこそ、「与えない」という選択は、とても勇気のいる行動に感じられるかもしれません。
しかし、実際に与えることを一度立ち止まって見直した人たちは、その中で意外な気づきや解放感、自分との新たな関係性を発見しています。
この章では、あえて与えない選択をした人々のリアルな声や、与え方に変化を加えたときにどんな影響があったのかという体験を紹介していきます。そこから見えてくるのは、“あげること”を見直すことは、やさしさを手放すことではなく、自分を取り戻すことなのです。
8-1. 「あげない選択」がくれた気づき
ある40代の女性は、長年「いつも誰かの世話をしている」「ついお礼をしすぎてしまう」自分に疲れを感じていました。職場でも家庭でも「ありがとう」「さすがだね」と言われることに喜びを感じながらも、ある日ふと「私は誰のために生きているんだろう」と空しさに襲われたといいます。
そこで彼女は、思い切って“贈らない”という選択をしてみました。誕生日にプレゼントを用意しない、ちょっとした差し入れもやめてみる――すると最初は不安が押し寄せ、「嫌われるのではないか」と気が気でなかったそうです。
ところが、驚くことに人間関係はほとんど変わらなかった。それどころか、「今日は何も持ってこなかったんだ」と話したとき、相手が「無理しなくていいよ、いつもありがとう」と言ってくれたことで、肩の力が抜けたと語っています。
“あげないこと”を通して、「与える自分でいなければ愛されない」という思い込みが少しずつほどけていったそうです。
8-2. 与える行動に変化をつけたら何が変わった?
別のケースでは、与えることをやめるのではなく、与え方の質を変えてみたという女性がいました。彼女は30代のフリーランス。仕事関係の人にいつも手土産を用意し、やりとりのメールにも毎回丁寧すぎるほどの文面を添えていたそうです。
あるとき、ふと「自分ばかりが気を遣いすぎているのでは」と感じ、少しだけラフな対応を試してみることに。高価なギフトをやめて、自分が本当に美味しいと思ったお菓子を小さな紙袋に入れて渡したり、必要以上に相手に配慮するのではなく、「これ、よかったら受け取ってくださいね」と気楽に伝えるようにしたところ、むしろ相手からのリアクションが良くなったそうです。
また、丁寧なやりとりをやめたことで「距離が縮まった」と感じることも増えたとか。
「自分を守りながら与える」ことを実践したことで、以前よりも疲れずに相手とのつながりを深めることができるようになったと話しています。
8-3. “自分のために贈る”ことの価値
さらに興味深いのは、「与える」という行動を“自分のため”にしてみたという人の声です。
彼女は「何かを贈るたびに、感謝されなかったら不安になる自分」に疲れ、「どうしたらあげることをもっと楽しめるか」を考えました。そこで試したのは、「自分が贈って楽しいと思えるものだけを選ぶ」「感謝されなくても満足できるタイミングで渡す」「相手の反応に過度に期待しない」という3つのルール。
たとえば、好きな雑貨屋さんで見つけた一輪挿しを、「これ、あの人の部屋に似合いそう」と思った瞬間にプレゼントしたら、感謝されるかどうかに関係なく自分の感性を表現できた喜びが残ったそうです。
「私はこれを渡したいと思ったから、渡した」。そのシンプルな動機が、自分を縛っていた“良い人でいなければいけない”という呪縛を緩めてくれたと話します。
“誰かのため”という言葉の裏には、しばしば“自分をないがしろにする”構造が潜んでいるものです。だからこそ、ときには“自分のためにあげる”という発想が、あなたの心を軽くしてくれます。
ポイント
- あえて「あげない」選択をしたことで、人間関係に大きな影響はなかったという声は多い。
- 与える行動を“減らす”のではなく、“変える”ことで関係が楽になったケースも多い。
- 「自分が贈って気持ちいいと思えるか?」を軸にすると、相手に感謝されなくても満足できる与え方ができる。
- “良い人”を手放しても、あなたの価値は何も変わらない。むしろ、本当のやさしさがにじみ出るようになる。
9. Q&A:よくある質問
人に物をあげるのが好きな人にとって、「自分の行動はこれでいいのだろうか?」「誰かを傷つけていないか?」「私は与えることに依存しているのでは?」といった疑問や不安はつきものです。
この章では、よくある5つの質問に対して、心理的な観点から誠実にお答えします。どれも非常に多くの人が抱えやすい悩みばかりですので、あなた自身の心の整理や、行動を見直すきっかけとしてご活用ください。
9-1. 「人に物をあげるのが好き」は見返りを求めていることになりますか?
見返りを「求めてはいけない」と考えてしまう人は多いですが、見返りを求めること自体は自然な感情です。人間関係は“やり取り”によって成り立っているため、自分が何かをしたら感謝されたり、リアクションがあったりするのを期待するのは当然のことです。
「見返りを求める」=「打算的な人間」という極端な二分法にとらわれる必要はありません。
本当に大切なのは、「自分は何を期待していたのか」を把握し、その期待がかなわなかったときに「自分をどう扱うか」ということです。
あなたが誰かのために何かをしたとして、それに感謝されなかったら落ち込んでしまうこともあるでしょう。そんなときは、自分を責めるのではなく、「自分はありがとうが欲しかったんだな」と自分の素直な気持ちに寄り添ってあげてください。
9-2. 与えることでしか人間関係を築けない気がします…
「何かをしてあげないと人とつながれない」という感覚は、非常に深いレベルで自分を縛っている思い込みであることが多いです。
その背景には、「無力な自分では愛されない」「役に立たなければ必要とされない」といった過去の経験や環境が影響している場合があります。
本来、人間関係の土台に必要なのは“共感”や“安心感”であり、必ずしも“何かを与えること”ではありません。与えないと成り立たない関係なら、それは対等な関係とは言えないかもしれません。
「何もしなくても一緒にいてくれる人がいる」という安心感を、少しずつでも体験していくことで、「自分は与えなくても、ここにいていいんだ」という感覚を育てることができます。時間はかかるかもしれませんが、それが“無条件のつながり”を築く第一歩です。
9-3. やめようとしてもまたあげたくなるのはなぜ?
「やめようと思ったのに、また何かあげてしまった…」という経験は、多くの“与える人”に共通しています。これは悪いことではなく、むしろ長年の思考・行動習慣が体に染みついている証拠でもあります。
人に物をあげることが自分のアイデンティティの一部になっている人ほど、それを手放すことは“自分自身を否定すること”のように感じられるからです。
また、誰かのために行動することで得られる「安心感」「達成感」「存在意義」は、他の行動ではなかなか満たせない強い感覚です。
そのため、やめようとしても無意識にそれを求めてしまうことがあります。
大切なのは、“やめる・やめない”の白黒ではなく、「この一回はやめてみる」「少しタイミングをずらしてみる」など、グラデーションのある選択肢を持つこと。小さな一歩から始めて、自分のペースで変化を受け入れていけばいいのです。
9-4. 相手にとって迷惑じゃないか心配です
この心配が出てくる時点で、あなたはすでに相手の立場を思いやれる繊細な人です。
「気持ちが重く感じられるのでは」「お返しを強いることになるのでは」といった不安は、自分の優しさが過剰になっていないかを確認するための大切なサインです。
もし迷惑かどうかが気になるなら、あえて贈らずに様子を見てみたり、「これ、気を遣わず受け取ってね」と一言添えるだけでも、相手の安心感は大きく変わります。
また、物をあげること以外にも「声をかける」「共感する」「一緒に時間を過ごす」といった形のないギフトを活用することで、相手にとって負担にならない優しさを表現できます。
心配なときは、“ちょっとだけ”与える、“やさしさの濃度”を調整することを意識してみてください。
9-5. どうすれば自分のためにもバランスよく与えられる?
もっとも重要なのは、「自分も大事にしながら人にやさしくする」というバランス感覚です。
これは、意識していなければすぐに崩れてしまいますが、トレーニングによって確実に身につけていくことができます。
まずは、「自分が今、余裕があるか?」を判断基準にしてみましょう。
疲れているとき、心に余裕がないとき、金銭的に厳しいときには、与えることを一時的に手放してもかまいません。
次に、「自分が本当にしたいと思っているか?」を問い直してみること。「あげたほうがいいかな」と“義務”になっているなら、少し立ち止まって、「あげたい」という本音があるかを確認してみてください。
「自分にもやさしく、相手にもやさしく」を合言葉にすることで、バランスの取れた与え方ができるようになります。これは無理をしない優しさ、続けられる優しさです。
ポイント
- 見返りを求める気持ちは自然であり、それを認めることで心が軽くなる。
- 与えることだけで人間関係を築こうとしなくていい。つながりには「何もしない時間」も必要。
- 行動を急に変えようとせず、少しずつ与えるスタイルを調整するのが効果的。
- 相手が受け取りやすいような工夫をしながら、過度な配慮は自分を疲れさせる可能性があると知る。
- 自分の状態を日々チェックし、「今の自分にとってちょうどいい与え方」を選べるようになることが大切。
10. まとめ:与える自分を肯定しつつ、もっと自由に生きるために
「人に物をあげるのが好きな人」というテーマを深掘りしてきた本記事。ここまで読み進めてくださったあなたはきっと、自分の与える行動について、ただ“良いこと”と捉えるだけではなく、その背後にある心の動きや葛藤、そして関係性への影響にも気づき始めていることでしょう。
与えることは、あなたの優しさの表れであり、大切な一面です。しかし、その行動が「自分を犠牲にしてでも」「嫌われたくないから」「何もしない自分に価値を感じられないから」といった思いから生まれていたとしたら、そこに少しだけ立ち止まり、自分の心と向き合う時間が必要かもしれません。
私たちは誰もが、人とつながりたい、喜んでもらいたい、認めてもらいたいという感情を持っています。それはとても自然で、人間らしい願いです。ただ、その感情に押し流されて、“あげることが義務”のようになってしまっていないか? という点には注意を向けるべきです。
ときには、「あげない」選択をしてみることも、与えることと同じくらい大事です。なぜなら、自分を尊重することができて初めて、本当に他人を思いやる余白が生まれるからです。あなたの優しさが“頑張って振る舞うもの”ではなく、“自然にあふれてくるもの”に変わるには、まず自分自身の気持ちに耳を傾ける必要があります。
また、与えることは「物」だけに限られません。
共感、時間、存在感、言葉、沈黙──それらもすべて、あなたが相手に渡すことのできる贈り物です。
人間関係においてもっとも大切なのは、“何を与えたか”よりも、“どう関わったか”です。そしてその関わりの中で、あなた自身が苦しくならずにいられること。
自分が満たされていてこそ、人にも満たしを分け与えることができるのです。
あなたがこれからも与えることを楽しみながら、けれど自分を見失わず、健やかに人とつながっていけるように――。
“与えることが好きな自分”を肯定しながらも、そこに自由さと選択肢を取り戻せたなら、その優しさはもっと豊かで、軽やかなものになっていくはずです。
最後に:あなたのやさしさに、やさしさを。
あなたが誰かにやさしくするとき、そのやさしさを“自分自身”にも同じように向けてあげてください。
「今日は疲れているから、与えるのはまた今度にしよう」
「今は、受け取ることを練習しよう」
そんなふうに、自分にも選択肢を与えてあげてください。
あなたの与える行動には、価値があります。
でも、与えなくても、あなたには価値があります。
そこを忘れずにいてください。
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